「深夜までただ働き続けた」 最年少上場のリブセンス村上社長が語る、ベンチャー的な働き方

起業の仲間はどう見つけるのか? プロダクトのアイデアはどうやって考えるのか? メンバー同士で雰囲気が悪くなったらどうすればいいのか? 若手の起業家が悩みがちな様々なことを、最年少で上場したリブセンス代表取締役社長・村上太一氏が語りました。

聞き手は同じく若くして上場社長となったドリコム代表取締役社長・内藤裕紀氏。同社主催のイベント「ベンチャーという働き方、起業という働き方」でのやり取りです。以下、学生をはじめとした若い起業家は必見の内容だと思います。

ドリコム内藤裕紀氏(左)とリブセンス村上太一氏

ドリコム内藤裕紀氏(左)とリブセンス村上太一氏

高校からの同級生とリブセンスを起業

内藤:まずこれから起業したい人たちは、最初の初期メンバーをどうやって集めるかが大事。お金もないし、プロダクトすらない時に、最初の1人目が2人目をどう口説いて「一緒にやってくぞ」となるのか…。リブセンスは特に学生のとき、最初の1人目や2人目はどう口説いていったのですか。

村上:僕は最初、高校生の時に同じクラスだった友人とやろうとしました。彼は口説くも何もお互い「やるよね」みたいな。高校3年生で同じクラスだった友人だったんですけど非常に気が合って、それこそ当時ソフトバンクがあまり有名じゃない時に株について、「ソフトバンクは絶対上がるから買おうぜ」とか話してました。

彼とやろうと決めて、その後のメンバーはある程度「起業に興味あります」っていう人に「一緒にやろう」と言って、チームに入れていきました。無給なんですけど、「ちょっとヒアリング調査するから渋谷で該当者全員に声かけて聞くぞ」みたいな感じでプロジェクト振ったりとか、他にも飛び込みでアルバイトの領域からスタートしたので、「店舗にヒアリング調査行くぞ」とかって、ひたすら集合とかをかけました。

そうすると徐々に出席率が悪くなってくるんですよね、やる気のないメンバーは。起業前の段階で、いろいろな気が合いそうなメンバーに声をかけ、それでチームに入り、チームに入った上で、プロジェクトを一緒にやっていって、自然とドロップアウトがいて、残ったメンバーでやるという。そんな感じの動きでした。

「ちょっと両親が…」学生にとって最初の岐路は就活

内藤:優秀そうな人と性格的に合いそうな人と、どっちを優先してました? 最初の一桁のメンバーの時に優秀か、性格重視かって結構難しいと思っていて。

村上:優秀さとかはよくわからないんですよね、学生なので。ちゃんと動ける人かどうかは、一緒のチームに入れていって判断してました。アウトプットをしっかり出せるメンバー、行動がしっかりできるメンバーみたいな感じで。ちなみに内藤さんは?

内藤:僕も最初に似たような感じで、ばっーと同じように集まって、無給で働いていたわけです。みんな学生で優秀かどうかもわかんないんで、とりあえずやってみた。そうやって入っていくじゃないですか。

でも最初に抜けるっていうタイミングってどういう時でした? 特に1人目。みんな、どこかで退職みたいなタイミングが来るじゃないですか。

村上:創業メンバーは4名でスタートして、1人は実はすぐに抜けてしまってですね。実質3名みたいな感じなんですけど。3名の後にその後も継続的にメンバー集めをしていって、その中で、8人ぐらいのチームになったんですけれど、やっぱり就活のタイミングですね。残るのかどうかは。

「ちょっと両親が…」みたいな話があって抜けてしまうメンバーもいました。ただ、コアのメンバーというか、役員陣であったり、かなり責任の重い仕事をやっているメンバーは全員就活すらせずに残ってくれました。

2年目で7000万円の売上に

内藤:ちなみにその周りが就活に向かうタイミングの時に、リブセンス社の売り上げはどれぐらいあったんですか?

村上:生々しいこと言うと、どんどんきましたね。就活を迎える時には、利益はけっこう出ていたんです。創業メンバー3名で、実質大学1年生と2年生で立ち上げて、初めの1年は苦戦したのですが、2年目は売上高7,000万円、経常3,000万円くらいでした。

内藤:うちも2年目で7000万円だったので一緒だなと思ったんだけど、それでもみんなの生活を養っていくっていう意味では、本当にこれでいけるのかなっていうとこもあるじゃないですか。それでもやっていこうぜって、自分の中で絶対いけるぞという自信があったんですか。

村上:やっていこうぜっていうか、「やる」が前提なんですよね、みんな。ただ、両親を説得するとか、深く関わっていないメンバーはやる前提ではないので、あちらから言われてそうか、みたいな感じで終わり。

その当時は学生で、みんないろいろあって去る者は追わず。「やる」が前提のコアなメンバーが残っていました。ただ給料が当時5万円だったので、5万円だと両親にもさすがに不安にさせて申し訳ないので、20万円に上げるという握りだけをしましたね。

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「君、良い雰囲気だから一緒にやらない?」

内藤:学生のベンチャーとか、立ち上げるタイミングを見ていて、いつまで経ってもずっと1人、あるいは最初の2人のまま増えない状況をよく見るんですよ。最終的には1人でできることはすごい少ないから、サービスが伸びないのと連動している。最初の1人から増えないチームと、増えていくチームを何が分けるんですか。

村上:声かけって量だと思っています。私は授業で後ろの席から見て全員雰囲気だけで決めちゃうんですけど。雰囲気良い人がいたら、全員声かけてましたから。

内藤:具体的に何て?

村上:チーム入らないか、起業しないかと言うより、会社ができていたので、「いま実は会社やってるんだけど、君、良い雰囲気だから一緒にやらない?」みたいな。

内藤:それ頭おかしい人ですよね(笑)

村上:「オフィス遊びに来なよ」とか。

内藤:宗教の勧誘みたい。

村上:一歩間違えばそんな感じです。初めは無給なんですけど、「いろいろ良い経験できるよ」みたいな話をしてました。あとは高校時代の後輩とか、高校時代の同じクラスだった友人が手伝ってくれたりとか。

スタート時は4名で、でも実質3名みたいな感じ。初年度終わりのタイミングには7人ぐらいでやってました。当時は雇用契約もないので、正式に何名だったかという記録はわからないんですけど。確か7名ぐらいだった気がします。

内藤:これがもう1年後、7000万円の売り上げだったころは?

村上:その時は15名ぐらい。全部学生、臨時のメンバーとかもいましたね。

隣のオフィスに与沢翼、「彼はすごいガッツがあった」

内藤:僕は村上君と出会う前に、村上君の噂をほかの社長さんから聞いていた。みんな「村上先生」と呼んでいるらしいと。23歳くらいの時にすでに「先生」と呼ばれる早稲田の学生がいると。サービスに対して細かくSEOをやりまくって、改善しまくって伸ばしてるっていう話を聞いていた。

駄作になるプロダクトと、伸びるプロダクトは紙一重だと思うんですが、サービスがうまくいった分岐点だった部分はどんなところだと思いますか、今振り返って。はじめは何の経験もなかったわけじゃないですか。

村上:分岐点はないんですけど、ただ働き続けていました。当時はまだ有名にはなってない与沢(翼)先輩っていう人が隣のオフィスにいてですね。帰る時間、お互い電気が消えるタイミングがわかる。

内藤:痩せてイケメンの頃の。

村上:痩せてイケメンの頃で、当時はECサイトをやってました。彼はすごいガッツがあって働く方なので、深夜も「まだ与沢さんいるかな?」みたいに思っていた。彼はすごい働いていて、あれだけ驚異的なマーケティングをする力は、あれだけ働いていた時間があったからこそできたんだろうなと思います。

内藤:スタートアップでがむしゃら働くチームなら、成功しないことはないですよね。

村上:特に学生ベンチャーおいては、これはマストだと思っていて。当時は土曜日が一番仕事できるっていうので、みんな集まって土曜日朝から会議をして。

ネット業界、半年死ぬ気で取り組めば勝てる

内藤:僕らも机の下に布団を置いていて、基本的に会社に泊まっている前提でした。帰るときには「帰るの?」って言われるんです。家に帰らないのが前提になっていて、12時ぐらいに帰ると早退みたいな雰囲気。週に1回とか2回、みんなで銭湯行ったりしてた。がむしゃらに上場までやってましたね。

村上:当時(サイバーエージェント社長の)藤田さんが「渋谷で働く社長の告白」という本で、週110時間働くっていう基準を書かれてたんで、僕らは124時間やってましたね。

内藤:自分には何か特別なスキルがあったと思いますか。

村上:たいしてあったわけではないですね。基本的には、ネットにはあらゆる情報が網羅されていると思っています。それをひたすらどこまで突き詰めて見ていくかとか、実際手を動かしてやってみるかっていう話なんです。インターネット業界ってできてからまだそんなに年数経ってるわけじゃないので、半年間〜1年間死ぬ気でやったら、けっこうなレベルまでいくじゃないですか。そんなことをやりながら感じました。

内藤:おっしゃる通りで、経営もプロダクトも、基本的に本に書いてあることをそのままやったらうまくいく。でもできないからうまくいかないわけじゃないですか。特に自分がやる分にはいいけど、他のメンバーにそう強いるっていうことが、すごくハードル高くなりますよね。ギリギリまでこだわったり、やりぬくところは、チームとしてどうやって保っていたんですか?

村上:一緒にやるからには伝えるしかないです。伝える方法として、中途採用の社員とかになってくると人間関係が、コミュニケーションが、という議論はあるんですけど。学生で年も近くて、変な役割や地位とか関係ないような状況で、とにかくストレートに言えるのが基本だったんです。でもストレートに言えないメンバーとかも出てきたときに、やってみたのが「破壊の夜」というイベントですね。

メンバーの人間関係を改善させた「破壊の夜」とは?

内藤:何ですか、また宗教っぽい。

村上:「破壊の夜」は、ストレートに物事を言うためのものです。メンバーの一部が「Aさんが最近帰るの早い」とか、「学校だとか言ってあまり来ないんで、何すか役員なのに」とか愚痴を言ったりしていたんです。だから直接言えるように、ある日、部屋を真っ暗闇にして、オフィスというか教室だったんですけど、ろうそくを灯した。

俺らは若いし、スキルもたいしてあるわけじゃないから、お互いに悪いところとか、改善した方が良いところとかを言い合っていかないとダメだと。でもわざわざ言うのは心が痛い。嫌われるかもしれない。

ただもうみんな愛だよ、それは。成長にあたっての愛なんだ。だから1回言い合って、それを愛だと受け止めて、改善していこうぜと。みんなでストレートに言い合ったんです。「Aさん、学校ばっかり」だとか、「伝えた後に、聞いてないような雰囲気を漂わせるのが気に食わない」だとか、そういうのをみんなで言い合って、時には泣いたりもして、でも次の日また円滑になる。

内藤:それいくつの時にやったの?

村上:21、22歳とかですね。

ストレートにぶつかり合うのが「愛のハードラブ」

内藤:すごい。そのメソッドを21、22歳の時にやろうと思ったのはなぜなんですか?「破壊の夜」を思いついたのは何だったんですか?

村上:心理学の本とかも読んでいて、ろうそくが良いらしいぞと知った。暗いほうが人は話しやすいらしい。お互いストレートに言えば、コミュニケーションもストレートになると思っていました。だからストレートにぶつけ合おうと。ただ、愛だよねと。みんなわざわざ言いたくないじゃん。それを「助け合う愛のハードラブ」と呼ぶんですけど。きついかもしれないけど愛だよね、みたいな。そんなことを言ってましたね。

内藤:それを21歳の時にやろうと思ったとこは、普通と違うし、すごいよね。最初のチーム作りの時にそういうことができてないと、上辺だけでチームが進んでいっちゃって、一番よくないんです。

村上:ストレートに言うきっかけを意図的に作るっていうのは大事な気がしますね。チームがボロボロ見え始めると。

プロダクトありきか、起業ありきか

内藤:大事ですね。あと起業しようと思ってるのにしない人の中で、社会人からよく聞く言い訳で、「まだいいアイデアが見つかってないんです」っていうの。「良いプランが見つかったら起業しようと思うんです」っていう人、起業するする詐欺みたいなことがあるんですけど、最初のサービスは元からそれをやるために起業したのか、後から調べて「これだ!」ってなったのか、どうですか。

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村上:調べてて「これだ!」って思いました。会社をやりたいっていう思いはずっとあって、それにあたってビジネスモデルを考えなきゃと。ビジネスモデルの基本は何だろうとひたすら本を読んでると、不便や問題の解決がビジネスの基本だというんです。だから不便や問題を探すぞと、日常的にひたすらメモを続け、街とか歩いててもキョロキョロして挙動不審だと言われてたんですけど、街を見ながらずっと探していました。

内藤:その時にたくさん案を出して、どうしたんですか。

村上:案は恐ろしいほど出てきました。当時の携帯電話はパケットし放題じゃなかったので、節約するような人もいるような時代だった。なのでパケットし放題にどうにかできないかという「フリーパケット」っていう企画で、携帯電話の画面に広告を常に出して、その代わりにパケットし放題にしようみたいな企画を出して、ドコモに電話しました。案の定断られるんですけど。

内藤:その時にマーケットが大きい、これから伸びそうだ、競合が少なそう「ブルーオーシャン」である、自分たちでもできそうだとか、いろいろな物差しがあるじゃないですか。どんな物差しで最終的に案を絞ったんですか。

村上:そこはうまく交わり合うところです。ベンチャー企業が市場のないところでいくら頑張ってもどうにもならないじゃないですか。なので、もうしっかり市場があるところ、伸びがあるというところで、できそうだって思ったところの2点です。

村上社長がいま注目しているビジネス

内藤:最後のテーマとして、ここから起業したいとかの人たちに向けて、最近気になる分野、ビジネスとか分野のところをピックアップしていきたいと思うんですけど。

村上:最近風邪で寝込み続けて、寝れなかったりして、ひたすら事業のこととかを朦朧としながら考えてたんですけど、そこでメモ書いてました。

例えば、遊休資産の活用ってよくあるけど、働くことの遊休資産ってまだまだあると思うので、すごく優秀な女性で家庭入ってあとにまだ働けてない人を活かすのはいいと思う。シニアで「趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)」というSNSがやってるんですけど、あれのスマホ化ってあるんじゃないかなとか。しゅみーとさんはけっこう長くやり続けていて、意外と良いコミュニティができてそうなんですよ。

後は、B to Bってまだまだあるように思います。B to Bの一番でかい商社とかって日本ならではです。もっと商社のIT化みたいなことが何かないかなあと。そういうことをいろいろ考えていましたね。ちょっときれいにまとめて、ブログに載せようと思ってるので、みなさん、ブログ購読してください。

基本的には大きな流れで言うと、ビジネスチャンスって何かが変化した時に生まれます。スマホの文脈があったり、世の中の人が今までなかったくらいインターネットに常に触れているからこそできることとか。「スマホって何だろう?」って考えた時に、そういったリアルタイム性とか、個々人が個人タイムで簡単にネットにアクセスできるとか、そういった文脈だからこそできることもありますけど、コンセプトはPC時代からあったりする。その辺にビジネスにチャンスはありそうだと思います。